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【育児記録2】緊急入院から4日後、帝王切開で双子を出産しました

育児記録2回目は、入院から出産に至るまでの話を。

入院後すぐ完全寝たきり状態に

入院してすぐ、完全寝たきり状態にさせられました。すでに子宮口が4cm開いていたので、これ以上開かないようにするため(すぐに出産となることを防ぐため)です。まだ週数が浅いので、一日でも長く母体に留まった方が子どもたちのリスクは軽減されるらしく、私に許されたのは寝返りを打つことだけでした。

「横向きで寝た方がいい」とか、「少しベッドに角度を付けた方がいい」とか、色々なアドバイスをもらいながら、お手洗いも食事も全てナースや家族に面倒を見てもらい、余計なことは考えず、ただひたすらベッドの上でじっとしていました。

食事は、病院食が全く美味しくなかったので(笑)、主人におにぎりを作ってきてもらったり、時々お気に入りの菓子パンを買って来てもらったり。母が来てからは、美味しい手料理をせっせと運んでもらいました。

日中も夜中も1〜2時間ごとに、子宮収縮の度合いと、子どもたちの心拍を計測するためのモニターがあるので、寝不足が続きましたが、子どもたちがお腹の中で元気にしているから、私も頑張らなくては、とそれだけを励みに毎日を過ごしていました。

これは、入院翌日に行った超音波検査の写真です。

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息子のおでこの上に、娘の肩がぴったり寄り添うようにくっついています。今でも娘の前で息子の名前を口にすると、手足をジタバタさせて反応するので、無事息子も成長を遂げていたら、二人はとても仲良しの兄妹になったのではないかと思います。

子宮口が6cm開き出産へ

出産前日の夜、双子のうち、よりお腹の下側にいた娘の頭が下がっていることが分かり、警戒モードに入りました。そして翌朝7時頃再びモニターしたところ、子宮口が6cm程開き、娘の頭が出かかっていることが判明。急遽出産することになりました。

入院した日から、出産予定日の12月よりはずっと前倒しになるだろうとは覚悟していましたが、まさかこんなに早く出産するとは思っていなかったので、この急展開にはさすがに驚きました。

前日の夜から警戒モードに入ったとはいえ、緊迫した空気だったわけではないので、出産当日も普通にKindleで本を読み、iPhoneをいじり…とのんびり。それだけにドクターから、「今から出産します」と告げられ、部屋に何人ものドクターやナースが押しかけた時には、頭が真っ白になったものです。

「急いでご主人に電話を!」と言われその通りにしましたが、電話をかけ始めたタイミングで、ベッドごと手術室へと向かい始めていたため、主人と数日前にニューヨークに駆けつけてくれた母が病院に到着した頃、私は手術室で出産体制に入る寸前でした。

私のベッドが手術室に到着した時にはすでに、十数名のドクター、ナースが待機しており、しきりに私の担当ドクターが、「23週6日、双子男女!」と手術室にいる関係者全員に向かって叫んでいました。手術室はとても寒く、その寒さのせいなのか、この緊迫した空気に体がこわばっているのか、震えが止まりませんでした。

その後ベッドから手術台に移動させられると、ものすごい早口の英語でナースから、「万が一母子ともに緊急事態に陥った場合には、母体を優先する」といった説明と共に、その説明を含めた注意事項が書かれた書類にサインをさせられました。私はその内容を20%ほどしか理解できなっかたので、ナースに、「サインはするけど、後から来る主人にももう一度説明して欲しい」とお願いしました。(主人は私の数十倍も上手に英語が話せます。)

その後、無痛分娩用の注射を背中に打たれたり、着ていたカーディガン、下着をナイフで切られ全て脱がされたりと、出産に入るための準備が急ピッチで進んでいきました。震えが止まらない私を見て、何人かのナースが代わる代わるハグをし、励ましてくれました。

そうこうしている間に、主人が到着。手術室に身内は一人しか入れないとのことで、母は外で待機していましたが、母は全く英語が話せないため不安を感じているだろうと主人にお願いし、手術室から何回か母の携帯宛にメッセージを送り、状況を説明してもらいました。

へその緒が先に出てきたため帝王切開に切り替え

初めのうちは、双子とも頭が下を向いていたことから予定通り自然分娩での出産となり、ドクターの指示に合わせ力んでいましたが、突然、「へその緒が先に出てきてしまったので、帝王切開に切り替える」と。

事前に、「万が一出産中、帝王切開に切り替える必要が出てきたら、そのまま手術してほしい」と伝えてあったので、ドクター、ナースの動きは、帝王切開に向けより一層慌ただしくなりました。

手術のようすが見えないようにか、私の顔の前にはブルーシートが広げられ、お腹に大量の消毒液がかけられ、液体の冷たさと異様な雰囲気に意識が遠退きそうでしたが、主人と会話し手を握ってもらいながら、「大丈夫、大丈夫」と心の中で何度もつぶやきました。

帝王切開をするために全身麻酔を入れられ、「痛みはあるか?」と何度かドクターから質問をされましたが、その時私のイメージなのか、それとも何か本当に痛みを感じたのか、まるでナイフでお腹を切られているような強い痛みがあり、「痛い痛い!ナイフで切られている!」と泣き叫び、それを主人からドクターに英語で伝えてもらいました。(もちろん、まだ切ってはいなかったので、どうしてこんなに強い痛みがあったのか、今もよく分かりません)

その後すぐ全身麻酔が効いたようで、目を覚ました時には、すべての処置が終わり、私は違う部屋のベッドで寝ていました。帝王切開が始まる直前、主人は手術室から出されてしまったそうなので、どんな手術がされたのかは家族の誰も知りませんが、私の帝王切開は順調に進み、出産が決まってから子どもたちが生まれるまでは、1時間半ほどしかかりませんでした。

隣で目覚めるのを待ってくれていた主人が、「赤ちゃん二人とも無事だよ」と声を掛けてくれました。それに安心したのか、それともドクターの説明通り出産後はホルモンバランスが崩れるからか、涙が止まりませんでした。加えてひどい寒気があり、歯がガタガタいうほど震えていました。

同じく部屋にいた母が、子どもの足型がプリントされた紙を私に見せてくれ、これには言葉にならないほど感動しました。

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しかし初めは息子の分の用紙がなかったため、私は「息子の身に何かあったのでは」と取り乱していたそうです(眠りから覚めたばかりで意識が朦朧としていたためか、この辺りは全く記憶がなく、後になって主人から聞きました)。

出産後すぐNICUへ搬送

その後何人かのドクターが時間差で私の元を訪れ、色々と話をしていきました。この辺りの記憶も定かではないのですが、主人によると、「入院した日に生まれてもおかしくない状況の中、よく4日ももった」と、帝王切開を担当してくれたドクターに褒められたそうです。

実は入院した日にドクターから、「今日生まれてもおかしくない状態」という説明があったそうで、主人はよく記憶していました。しかし肝心の私が気が動転していたのか、覚えておらず……。

そのため、こんなに早く生まれたことに心底驚いたのですが、じゃあ入院直後から、『数日以内に生まれる可能性』を認識していたら、もう少し何か出来たか? というと、病院の管理下に置かれ、自分では全く身動きがとれない状態になった以上は、できることには限界があったと思うので、知っていた方が良かったのか、知らないままで良かったのか、どちらが良かったかはよく分かりません。

いずれにしても、子どもたちを早く産んでしまったことに代わりはなく、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 出産後、自力で呼吸を始めた子どもたちはすぐに保育器に入れられ、手術室からNICU(新生児特定集中治療室)に移されました。

保育器は主人と母の前を、ものすごい勢いで通過していったそうで、母は、「写真を撮っている余裕もなかった」と言っていました。娘は割と早く手術室から出てきたそうですが、息子は出てくるまでに時間がかかり、主人と母の間には緊張が走ったそうです。その後息子も無事手術室から出てきて、NICUへと移動しました。すぐにでも子どもたちに会いに行きたかったのですが、帝王切開による痛みは想像よりはるかに凄まじく、1mmでも体を動かそうものなら、その場でお腹を切られているような激痛が走り、しばらくベッドから動けなかったので、子どもたちとの初対面は主人と母に任せ、写真を撮ってきてもらいました

私が子どもたちとの対面を果たしたのは、出産翌日の夜。 初めて目にする我が子は、信じられないほど小さな体に、これでもかというくらい、たくさんの器具を付けられていました。

 
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(生まれてからしばらく、子どもたちは黄疸防止のため、ブルーライトを当てられていました。 目が隠れているのは、ブルーライトから保護するためです。)

お腹の中にいる時、子どもたちは一度も検査で引っかかったことがないので、元気だったはずです。それが早く生まれてきてしまったために、いきなりこんな重い状態になってしまうなんて…。

多くの人は、「あなたのせいじゃない」と慰めてくれましたが、私のせいじゃなかったら、どうしてこんな事になってしまったのか? と、自分に対して強い憤りを感じ、子どもを前に涙は止まりませんでした。
けれど「生きたい」と願い生まれてきてくれた子を見て、泣き続けている場合ではないので、なんとか気持ちを切り替え、それからは、「生まれてきてくれてありがとう、愛してるよ」と、たくさん声をかけるようにしました。
私の術後の経過は順調で、出産から4日後に退院。その日から私たちのNICU通いが始まりました。
 

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