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【育児記録6】『転んでもただでは起きない』を実践してきた2カ月

前回のブログでもお伝えした通り、10/13は娘の2カ月バースデーでした。
偶然にも息子の四十九日でもあり、複雑な心境でしたが、息子が天国で天使になって楽しく遊んでいる姿を想像し、遺影の前で「2カ月おめでとう」と伝えました。


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娘には、トトロのお人形をプレゼントしました。
トトロの下に敷いてあるのは、ナース長のお義母さんが編んで下さった素敵なシートです。

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私も娘が無事退院したら、何かしらの形でNICUに恩返しをしていきたいと考えています。

今日はこの2カ月を振り返り、学んだことをお話していきます。

人生はたった2カ月でこうも変わるのかと思うほど、驚きと感動、悔しさ、嬉しさ、悲しみと色々な感情に見舞われた時間を過ごしてきました。

急を要する、しかも、命に関わる重大な決断を迫られることが多かったからか、学びの多い2カ月にもなったと思います。

今改めて振り返ると、『転んでもただでは起きない』を実践してきた2カ月だったな、と。
あまり良い意味じゃないことや、子どもたちの状況を「転ぶ」という表現にしても良いものなのか、悩ましいところではありますが、人生において苦戦をしていることは事実なので、あえてこの表現を使いたいと思います。

ここからこの2カ月で私が学んだこと、実践してきたことを挙げていきます。

1. 入院=英語合宿だと考える
入院が決まってから突然オール英語の環境になったので、私の語学力では相当きつかったですが、「24時間英語漬けでいられることなんて早々無いから、英語合宿だと考えよう」と頭を切り替えることで、辛い入院生活を乗り切ることができました。

2. 入院=贅沢な読書の時間と考える
ベッドで体を起こすことも禁じられるほど、ある意味完全に何もできない状況に置かれたので、この時にしかできないことをしようと、ナースや家族が病室にいない間は、ひたすらKindleで本を読み、贅沢な時間を過ごしていました。

3. 決断の順序を考えておく
「帝王切開をするかしないか」に始まり、私たちには日々様々な決断が求められました。
その中でやはり言い争うことも多かったので、主人とは、「基本的には話し合って2人で結論を出すけれど、緊急時(私に翻訳している時間もないほど切羽詰まった状況の場合)は、決断を主人に一任する」と決めました。

そして主人がどんな結論を下し、どんな結果になろうと、私はそれを認め、 絶対に責めないと。

幸い今のところ、そのような状況に陥ったことはありませんが、今後何か起こった場合(もちろん起こらないことがベストですが)には、そのようにしていきたいと思います。

4. どこにでもチャンスはあると考える 
前回のブログにも書いたとおり、主人は医療に関する知識が人並み以上にあるため、ドクターやナースから説明を受けたことに対し、「なぜ、ここはこうしないのか?」「その治療の目的、ゴールは?」「その治療のメリット、デメリットは?」「万が一何か起こったら、どうするのか?」など、その場で鋭く突っ込むことがあります。

とはいえ、彼の知識は独学で得たもので、学校で習ったわけではないので、知らない専門用語が出てきた場合には、自宅に帰り調べる必要があります。

経営者でもある主人は常に、ビジネスモデルを考える癖がついているようで、この”一般人と、医療従事者との間にある「専門用語」「医療に関する方針」の壁”をどうにか取っ払え無いだろうか? もしかして、ここにはビジネスチャンスが広がっているかも? と感じているそうです(それを今後ビジネスにしていくかは不明ですが)。

主人の経験が、同じく”医療用語の壁”で困っている、多くの患者の助けになる日が来たらいいなぁと陰ながら見守っています。

私自身も、この非日常な経験から得たものは大きく、こうしてブログに書き留める以外にも、何かしらの形でアウトプットできないかと考えているところです。

5. 夫婦間の対話の時間が増え、絆が強まった
うちは元々夫婦仲が良いので、会話につまった…ということはないのですが、今回の一連の経験を経て、より一層夫婦の絆が強まり、会話する時間が増えました。

朝晩2回、バスで通院しているので、その間の時間を確保できるようになったからという理由もありますが、息子が亡くなってからは、主人に自宅仕事の時間を増やしてもらい、どちらかが落ち込んだ時は励まし、互いに胸の内を吐くようにしていたので、より包み隠さず会話できるようになったからかもしれません。

これから娘を迎えるにあたって、夫婦間で、「隠し事はなし」「話し合う」習慣がついたのは、とても良いことではないかと思います。

6. 日常のところどころに、幸せを感じられるようになった
失ったものは大きく、それを補えるものはありませんが、いつも心のなかに息子がいてくれるんだと感じることで、私の心は穏やかになりました。

行動一つ一つが、「子どもたちに見られた時に恥ずかしく無いか」と考えられるようになったのも、大きいと思います。

この2カ月の間、周囲から心ない言葉を掛けられ、ひどく落ち込んだこともありました。

おそらく以前だったらそういう人に対し、「許せない」という気持ちを拭いきれなかったと思いますが、今は多少の怒りはあっても、「相手も何か理由あって言ったに違いないんだから、もう忘れよう」とポジティブに考えられるようになりました。

今は制限も多く、主人も私もストレスがたまらないと言ったら嘘になりますが、それ以上に、「毎日娘の成長を感じられる」「猫のわらびが元気でいてくれる」「ご飯を美味しく作れた」「娘が退院したら行ってみたいレストランが見つかった」、こうした日常のところどころに幸せを感じられるようになったことが、一番の収穫かもしれません。


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