娘が退院し、2回目の週末になりました。
今回はなんと、私の母も一緒!
主人が2週間ほど出張で日本に戻るので、代わりに日本から母が来てくれています。
ありがたや……(涙)。
母は私が切迫早産で入院した時にも、即刻渡米を決めてくれ、文字通り飛んできてくれました。(「お父さんは私が面倒見るから、行きなはれ」と姉が猛烈にプッシュしてくれたらしい。おねえちゃま涙)
入院当時、歩くことはもちろん、ベッドから体を起こすことさえ許されなかった私にとって、数少ない楽しみといえば、本を読むことと、食べることくらい。
もちろん病院食はおいしくないので……(笑)、母が私の家でせっせと作ってくれた手料理が待ち遠しくて待ち遠しくて(時々、あ〜ん♡ までしてくれ笑)。その味に、どれだけ救われたか分かりません。
そして今回も、私一人では娘の面倒を見るのは大変だろうと、父も姉も理解を示してくれ、母が来てくれました。家族に支えられ、本当に幸せものです。
今日は、「目の検査のためボストンまで行ってきた」お話です。
ボストンでの受診を勧められる
前回のブログで、「網膜剥離が進み、再手術の可能性が浮上してきた」とお伝えしました。
【育児記録20】退院して1週間が経ち、生後6ヶ月を迎えました! : Purple and the City
目の検診時に眼科医が、「別の眼科医の意見も聞きたいので、ロングアイランドにいる網膜のエキスパートの元で受診してきて欲しい」と言ってきましたが、すぐに、その眼科医が3週間ほどNYを離れていることが発覚。
そこでオプションとして出てきたのが、「僕のメンターでもある日本人の眼科医がボストンにいるから、そっちに行けないか?」というものでした。
眼科医によると、ボストンにいるその医師は、「網膜(臨床)の世界的権威で、ハーバード大学の教授でもある」そう。
娘の目は、「このまま放置すれば、失明の可能性が高い」ところまで来ているので、それほどの方に診てもらえるなら、なんとしてでもその機会を手に入れたい気持ちがある一方、いわゆる”元気な赤ちゃん”とは違い、まだNICUを退院したばかりで、「酸素吸入器」を必要としているくらいなので、ニューヨークを離れる怖さもあり、すぐには結論は出せませんでした。(ニューヨークからボストンまでは、車でも電車でも4時間ほどかかります。)
かかりつけの小児科医にも、日本にいる家族にも反対され、私たちもどうにかニューヨークにいる他の優秀な眼科医に診てもらう方法はないかと考えましたが、主治医いわく、「すでに2回のレーザー治療(両目)、1回の冷凍凝固治療(両目)、1回の硝子体手術(左目)をしていますが、未熟児網膜症の進行が止まりません。再手術をするにしても、どう対処するべきか分からないので、経験豊富なボストンの眼科医に診てもらってきてほしい」とのこと。
反対していた小児科医に再度事情を話し、「行くなら電車は避けること」(※何かトラブルが起きた時、電車だとすぐに病院に向かえないなどの危険があり)とアドバイスをもらったので、車を借り、片道4時間の旅に出ることに決めました。
大量の荷物を車に詰め込み、いざボストンまで!
当日は、午後2:15に診察を入れてもらったので(アポが取れたのが前日。本来であれば難しいところですが、事情を考慮し入れてもらいました)、自宅を午前8時30分過ぎに出発しました。
▲今回借りた車。
頼んだ車がなくアップグレードされました!
Google Map上は3時間強ほどのルートになっていましたが、何が起こるか分からないので、少し余裕を持たせての出発です。

車に詰め込んだのは、
・酸素ボンベ × 4本
・G-tubeから母乳を投与するための機械一式
・オムツ、おしり拭き、着替えなど娘の身の回り品一式
・毛布
・カーシート
・ベビーカー
・薬一式
などなど、大きなカバン4つ分の荷物!
いつ何が起きても対処できるよう、万全の体制で車に乗り込みました。
そしていざ出発!
▲後ろから主人の勇姿を見守ります。
私は娘の隣で音楽に合わせて歌う係(笑)。
はじめは、カーナビが機能しないなどのトラブルに見舞われましたが、無事高速に乗り、後はひたすら走るのみ。娘は、車に乗る前までは何度か吐いていましたが、車に乗るとピタリと治まりました。これは、将来有望の車好き女子か?(笑)
▲気持ちよさそうにスヤスヤ
娘の様子を見てホッとしたのか、高速に乗ると、私の方も睡魔が……。
娘が退院して以来、モニターチェック(体内の酸素値が基準値を下回ると、モニターが感知し、部屋中に響き渡るほどの大音量でアラートが鳴ります)&投薬&食事・オムツ・遊び・トレーニングなど身の回りのケアのために、夜通し&日中も起きている時間が多いので、この日も突如、強烈な眠気に襲われました。
以前は、睡眠をしっかり取っていないと持病のめまいが出やすいこともあり、睡眠優先生活(1日8〜10時間睡眠)を送ってきましたが、娘が帰ってきて以来、睡眠時間はなんと1日2〜3時間(+お昼寝1〜2時間程度)にまで縮小。
でも使命感からか、体調は安定しています。
夜娘が寝た後に仕事したり、ブログを更新したりもできているくらいなので、人間スイッチが入ればなんとかなるものだと、自分の変わりぶり(単純ぶり?笑)に感心しております。
(主人には朝からの仕事に備え、夜はしっかり寝てもらい、早朝に見張り番を交代してもらっています。)
途中サービスエリアでオムツを替え、お昼を食べ、ボストンの病院に着いたのは、アポ15分前でした。
超音波検査も行い、最終的には病院に3時間以上滞在。
眼科医が私たちに話してくれたのは、次のような内容でした。
・両目とも網膜剥離は進行していますが、想像していたよりは状態が良いので、まだ手の施しようはあります。
・これまで行ってきたいくつかの処置がしっかり効いており、未熟児網膜症を進行させる「血管の異常発達」は治まってきています。(未熟児網膜症の血管は、いわゆる『怒り=燃えたぎる炎』のようなものだそう。先生は、「その”怒り”は収まっている」と表現していました。)
・Q. ではなぜ、「未熟児網膜症」が進行しているのか? → A. 血管の異常発達は治まってきつつあるものの、血管から「滲出液」として滲み出した血液成分が目に溜まり、剥離を進めやすくなっているから。(※眼科医の話から私と主人は、滲出液が網膜を剥がす力を強めているのではないかと考えています。)
また、目(網膜)自体が成長していることも、剥離が止まらない原因の一つだと考えられます(=眼球が成長したくても、異常発達した血管が阻害するので、体の成長スピードに追いつかず、網膜から剥がれてしまう)。・ニューヨークの主治医に指示しておくので、彼の元で麻酔をかけ、より詳しく目の検査をしてもらってください。
・それから、新生血管の発育を阻害する『Injection(目に指す注射)=アバスチン』を試してみましょう。
・副作用を懸念する声もありますが、使われ始めてすでに数年が経過し、今のところ深刻な問題が起きているという話は聞きません(もちろん10年後にどうなるかは、まだ分かっていませんが……)し、手術のリスクと天秤にかけた場合、こちらのほうが赤ちゃんにとっての負担は少ないでしょう。
・Injectionで効果がなければ、再手術(バックル手術)を検討しましょう。
※参考:バックル手術
実は、娘の眼の診察を終えたドクターが、超音波検査に入る前、アシスタントに説明している話が私たちの耳にも届いており、そこにはネガティブなキーワードも散らばっていました。
主人曰く、「目が見えなくなる可能性が高い」というようなセリフも聞こえたそうです。私は、超音波検査を終え最終的な結果を聞くまで、考えられる限りのケースを想像し、覚悟を決めました。
そのため、「まだ手の施しようがある」と言われた時には、心からホッとしました。帰り道は、どれだけ気が晴れていたことか!
▲頑張りました。今着られる暖かい外着が
これしかないので、外出時はいつも同じ服(笑)
ドクターは診察の丁寧さも、人柄もとても素晴らしく、診察終了後もいろいろと話をしてくれた上に、自宅の電話番号まで教えてくれました。何か困ったことや、質問があればいつでも電話してきてくださいと。
彼自身の生い立ちもいろいろと話してくれました。
なかでも印象的だったのが、こちらの言葉。
「私は英語が下手でしたからね、アメリカに来たばかりの頃は、本当に患者がつくんだろうかと心配していました。でも患者が見ているのは、”何を話すか”ではなく、”何をしてくれるか”だったんですね。」
先生は、80歳近くのご高齢でいらっしゃいます。
長年アメリカで、しかも第一線でご活躍されてきた方だからの言葉の重みに、主人共々感銘を受けました。
私たちは、出産前〜今日に至るまで険しい道程を歩き続けていますが、いつも病院と医師に恵まれているので、どんな時でも前を向いていられるように思います。
私たち家族に関わってくださる全ての方に、ただただ感謝です。
▲体重は4.2kgになりました。
ようやく、ここまで近づけるようになったわらび