ブラジル人男性と国際結婚し、現在日本で暮らしながら4歳の男の子、11ヶ月の女の子を育てている椿奈緒子さん。IT企業で「社内起業家」として数々の事業を興す傍ら、個人では友人らと等身大のワーママを紹介していくメディア「パワーママプロジェクト」を立ち上げるなど、パワフルな生き方を続けています。忙しさを微塵も感じさせない笑顔と、常にに前向きな姿勢を保つパワーの源はどこにあるのでしょうか。 前編は椿さんのこれまでのキャリアとポジティブに生きる秘訣、後編は日本でハーフの子どもを育てるママとして取り組んでいることなどを聞いていきます。
<Profile>
椿 奈緒子(つばき なおこ)さん
事業プロデューサー、パワーママプロジェクト 主宰
1979年生まれ千葉市出身。上智大学卒業後、株式会社サイバーエージェント入社。2005年にサイボウズ社との合弁会社を立ち上げ代表取締役に就任。社内起業家として7つの事業や会社を立ち上げる。第一子出産を機に、ワーキングマザーのネガティブな先入観を払拭すべく、2013年に等身大ワーキングマザーのロールモデルを紹介するパワーママプロジェクトを立ち上げ、翌年からワーママオブザイヤーを開催。2016年第二子出産し二児の母となる。夫はブラジル人。
コギャルをしていた高校時代、
将来の方向性が「ブラジル」に決まった
—どうしてブラジル人男性と結婚することになったのでしょうか? 出会いから興味があります。
夫とは私が大学4年生、彼が21歳のときに東京で出会いました。彼は日系二世なのですが、日本で暮らすようになったのは20歳頃。出会った当時は日本に来て2年目で全然日本語が話せず、通じるのは母国語のポルトガル語だけでした。幸い私は大学でポルトガル語学科に在籍し、ブラジルでのホームステイやインターン経験もあったので会話には困らず、友だち付き合いから始まり交際7年で結婚しました。
—ブラジルでインターンとは珍しいですね。それはまたどうして?
キャビンアテンダントをめざしていた母の影響からか、小さい頃から海外への興味があったんです。そのため幼稚園の頃から将来の夢は、キャビンアテンダントになること。ところが高1でカナダ、高2でオーストリアにホームステイするたびに飛行機内で憧れのキャビンアテンダントと会話・観察したのですが、これは自分が思っていた仕事とは違うと気付き、改めて将来について考えました。
引き続き海外には興味ありましたが、英語が話せるだけでは競合優位性がないなぁと図書館に行き、中国語、スペイン語、ロシア語などほかの言語や、人口、土地の広さなどいろいろ調べていくうちに、ポルトガル語、つまりブラジルにたどり着いたんです。
高校を卒業したら上智大のポルトガル語学科に行こうと決めたものの、当時はコギャル全盛期。私も高校時代はコギャル生活を満喫していて、いくつか雑誌に出るなど活動していたので勉強は熱心にしていませんでした。成績は悪い時で学年で下から10番目とか。でもブラジルの道で行くんだ! と決めていたのでコギャルはやめて必死に勉強し、念願の上智大に合格しました。大学では勉強を楽しみ、サークルはインカレの模擬国連委員会に参加。よくブラジルを担当しました。
2000年当時、ブラジルは世界トップクラスで貧富の差が激しく、私は大学で開発経済学(※発展途上国の経済の現状、今後の開発のあり方を考える経済学の一分野)を副専攻にしながら、どうやって貧富の差を埋めるか勉強していました。そして現地を視察するために、実際にブラジルの貧民街にホームステイしたり、インターンをしに行ったりしたのです。
選んだのは、リオデジャネイロの「ファヴェーラ」と呼ばれる貧民街。治安が良い場所ではないので、いきなりファヴェーラに住んだというとブラジル人からも驚かれます。そこに住む人たちの暮らしぶり、彼らは何が好きなのか……そういうものを自分の目で観察しながら過ごしました。インターンは、同じくリオデジャネイロにある青少年の職業訓練所で行いました。
ブラジルでインターンをしていた頃
—その後大学を卒業し、就職先はどちらに?
模擬国連委員会に参画していたこともあり、国連への興味もあったんですが性格的に合わないと思い商社を選びました。ビジネスの道に進んだのは、ブラジルの貧困問題を解消するには雇用を生み出す必要があると考えたからです。
もちろん他にも解決しなければならない問題はいろいろありますが、貧困の根源は「雇用」にあるんじゃないかと思って。いかに良い仕事に就き、定期的に収入を得られるか。そして家族を作り、自分の子どもにも良い教育を受けさせられるか。
将来的にブラジルでの雇用を増やせればと商社へ行きましたが、若い女性がすぐ活躍できない企業文化に違和感を覚え、2年目で退職。「若手の女性でも事業を立ち上げられる場所は?」と考えた末にIT業界に転職しました。
現在もIT業界にいますが、娘の待機児童問題に直面しお休み中です。でもようやく保育園が決まったので、近いうちにまた社会復帰します!
しばらくは日本でブラジル人のように
楽しく暮らしていきたい!
—いずれまた、ブラジル関係の仕事に就きたいという思いはありますか?
ありますよ。何かしらの形で関わりたいですね。まだ夢は追い続けています。
—将来的にブラジル移住という可能性もあるんですか?
はい、いつかは住みたいと思っています。ただ今はまだ無理ですね。政治、経済、教育、医療それぞれ課題がありますし、治安も良くないので子連れで住むには危険すぎます。
大体3年に1回くらいブラジルに行っていて、3年前に家族で生活できるかの検討を含め子連れで旅行したんですが、私たちが出した結論は、「今は住めない」でした。
ブラジルは社会情勢が不安定な上に、公立の保育園は教育水準がとても低く、かといって私立は信じられないくらいコストがかかります。リオデジャネイロなどの都心部は、不動産や保育園も東京以上に高いので、家族4人で安全で満足いく生活をするには相当収入がないと厳しいです。
でもやっぱり私も夫もブラジルが大好きなので、いつかは住みたいと思っています。それまで日本にいながら、ブラジルで生活しているような楽しい暮らしを送ろうと工夫しているところです。
—「ブラジルで生活しているような楽しい暮らし」と言いますと……?
ブラジルの人たちはすごく明るくて、自分の人生を思いっきり楽しんでいるんですね。総体的にクオリティ・オブ・ライフ(※QOL、生活の質)が高いというか。たとえば週末は海に行ったり、休暇中は2週間くらい別荘に行ったり。カーニバル休暇のときもしっかり休んで遊びまくります。
こういう余暇を楽しむカルチャーがすごく好きなので、日本でも同じようにQOL高く暮らせればいいなとしょっちゅう家族で旅行しています。キャンプに海に山にスキーに。ブラジルに住んでいたら絶対していたことを、日本で安全に暮らしながらしている感じです。
毎年恒例の伊豆白浜旅行、途中にある浄蓮の滝にて
等身大ワーママの事例少ないよね? の
疑問からメディアをスタート
—椿さんは、「パワーママプロジェクト」という、ワーママのロールモデルを紹介するメディアを運営しています。私も昨年取り上げていただき、光栄なことに「ワーママ・オブ・ザ・イヤー2016」(※毎年、最も多くの人にパワーと勇気を与えたワーキングマザーを表彰。2016年は第3回)で賞をいただきました。そのご縁でこうしてインタビューできることになったわけですが、そもそもどういう経緯でパワーママプロジェクトは始まったのでしょうか?
立ち上げメンバーは私一人ではなくて、他に3人います。2人はテレビ局関係者、もう1人は元企業広報で今は独立して自分で広報・PR系の会社をやっています。全員がママなんですけれど、2013年のある日カフェで集まって話をしていたとき、ワーママの現状の課題についてすごく盛り上がったんですね。メディアで紹介されるのは大体、ものすごく大変そうに働いて辛そうなワーママか、手の届かないようなスーパーバリキャリママか、男女雇用機会均等法時代から勝ち抜いてきた大先輩のお話か。
こうした極端な例じゃなくて、もっと等身大のワーママが取り上げられないのって不自然だよね、なかなか共感しにくいよね、じゃあ行動に起こそうよ! と意見が一致し、等身大ワーママの事例を紹介するWEBメディアを作ることになりました。
それぞれ得意分野が異なる4人なので自分の強みを活かしつつ、でも本業に支障をきたさないよう「無理なく、楽しく」をテーマに続けています。途中コアメンバーが入れ替わり、広報部会や関西支部も立ち上がりました。たくさんの方に支えていただき、まもなくインタビュー記事は200本に達するところです。
パワーママプロジェクトのコアメンバー
ありがたいことに、パワーママプロジェクトの認知度はどんどん広がっています。公文さんが受賞した「ワーママ・オブ・ザ・イヤー2016」には、衆議院議員の山尾志桜里さんからお祝いのビデオメッセージが届きましたし、最近では内閣府が主催する「男女共同参画社会づくりに向けての全国会議」でのパネルディスカッション登壇を始め、「若手ワーママの現状について話を聞かせてほしい」という依頼が増え、ディスカッションに出向くようになりました。
ママになる前はこういう機会はなかったので、一気に世界が開けた感じがします。
都内で行った「ワーママ・オブ・ザ・イヤー2016」の様子
育休中は新しい経験が
できる期間と前向きに捉える
—さきほど娘さんの待機児童問題に直面し育休中、そしてまもなく復帰だとおっしゃっていましたよね。常に元気で明るい印象の椿さんですが、育休中は椿さんにとってどんな期間でしたか?
私のモットーは、ハッピーでいたい! なので、悪いことや嫌なことが起きたときでも、行動を起こして解決策を探しに行くんですね。だから待機児童問題に当ってしまったのは大変でしたけれど、せっかく時間もできたことだしいい機会だと前向きに捉え、積極的に動き回っていました。
たとえば区議会を傍聴しに行ったり、さっきお話したように内閣府はじめ官公庁へフットワーク軽くディスカッションをしに行ったり。また所属会社が兼業可のため個人事業主として登録したり、夫の事業のお手伝いで資金調達をしたりということもしました。会社員だったら見えなかったことばかりなので、お陰でどんどん世界が広がった気がします。
「男女共同参画社会づくりに向けての全国会議」パネルディスカッションに登壇
育休って「お休み」ですけれど私は全然そう思っていなくて、むしろ新しい世界がどんどん開いていく期間かなと。
以前、世界銀行の駐日特別代表の方が、「育休中は留学中と考えたらいいんです」というお話をされていて感銘を受けました。そうだこの期間はキャリアストップじゃなくて、留学中のように新しい世界を広げる期間だって。それでその考え方を信じ、続けてきたんです。
子どもが生まれたから知った世界、コミュニティ、仕事……いろいろありますよね。そういうものに出会うたびに、私って社会のこと全然知らなかったんだなって驚いてばかりいます。
育休は、私にとっていい社会勉強期間になりました。
(前編おわり)
後編(「ハーフは個性」。子どもたちの自己肯定感を高めるためにしていること)はこちら